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飛騨家具の輸出

2014年10月13日

家具のフクタケのつぶやき

ちょっと今では想像できないですが

 

飛騨高山の家具はアメリカに輸出されていた時代がありました。

 

1920年(大正9年) 3月高山を訪れた旅人が、飛騨にも当時無尽蔵にあり、

 

あまり使い道のなかったブナを使い立派なイスがつくれるという話を持ち込みました。

 

そこで有志が集まり出資して その年の7月に「中央木工株式会社」 を設立。

 

ドイツのミルエル・ト-ネットにより開発された曲げ木の技術と、

 

当時飛騨の山々に残されていたブナの原生林を利用し、家具つくりが始められた。

 

椅子など見たこともなかった職人たちは、永年の経験と木の知識に支えられ

 

試行錯誤を繰り返し、2年後地場の伝統技である春慶塗の施された椅子を世に送り出しました。

 

大正12年10月 に増資して「飛騨木工株式会社」に改組、現在の飛騨産業です。

 

昭和7年には満州などへの輸出に力を注ぎ、高山線が開通した9年には

 

満州・朝鮮をはじめ海外に販路を求めて大きな成果を上げた。

 

昭和10年にアメリカのバイヤーとの商談が成立し、

 

日本初の家具対米輸出開始。12年には輸出が本格的に始まりました.

 

 

当時輸出されていたイスです。

 

戦後輸出が再開され、ウインザーチェアを中心に1960年には

 

飛騨産業の総生産の87%を輸出し、輸出貢献企業として総理大臣賞を

授与されていた時代もありました。

昭和48年のオイルショック以降は国内生産に切り替えていきました。

 

今では本当にに考えられないですね!

 

ここで注目したいのが、固定相場制だったことももちろんですが、

材料のブナが国内で安く豊富に確保できて初めて実現できたことです。

 

昔は安かったブナも、今では飛騨高山ではほとんど確保できず、

 

家具用の硬いナラなどの広葉樹は北米、ヨーロッパ、ロシアなどからの輸入に頼っています。

 

当時ブナを切った山々には国の政策として成長の速い杉を植えたのですが、

 

今度は逆に安い外国の木材におされ、山は人の手が入らないようになりなってしまいました。

 

定期的に枝打ちをしたり、間伐をして手入れをしないといけないのですが

 

間伐材などは大根と同じ値段だと聞いたことがあります。

 

これではだれも山の手入れはしないでしょうね・・・

 

もう少し将来を見据えた出来なかったのかとか思われます。

 

同じ時代が来ることはないでしょうが、これからは木に関わる仕事をするものとして永続的に家具を

作り続けていくにはどうしたら良いか真剣に考えていく責任があると思います。

 

家具の福岳

小川直樹

 

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